TAUL'S CORRAL 2 <古を訪ねて>

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zoom RSS <播磨三木城>

<<   作成日時 : 2016/05/23 16:49  

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2016年5月19日神戸を訪れた帰路に、かねてより強く興味を覚えていた

播磨三木城址を訪れた。

その道中、淡河の道の駅に立ち寄ったが、そのすぐ後ろに淡河城址
あったとは意外な発見だった。その城主淡河定範は三木合戦の大村合戦で
討ち死にしたという。

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さて三木城と言えば三木合戦の舞台となった城である。

とりわけのちに<三木の干し殺し>と言われた秀吉による凄惨な

兵糧攻めが行われたことで後世までその名を残している。

姫路城の東約31キロ、明石城の北約19キロに位置する三木城は、
明応元年(1492年)別所則治によって築城された。
その後何度か落城の憂き目に遭い、その都度拡張整備されて
4代あとの長治の頃には難攻不落の堅城となっていた。
天正6年3月から20ヶ月間に渡って三木合戦が繰り広げられた
舞台に向かった。

車で標高58.2mの本丸跡に辿り着くには、狭く迷路のような道を進んで
いかなければならないのでかなりの苦労が費やされた。やっとのことで
上の丸保育所近くにある三木城址上の丸公園に辿り着くと別所長治公
勇姿が出迎えてくれた。

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公園内には一段高い天守台が残されているが長治の頃には
天守は無かったようだ。後の天守年間に天守が増築された
ようなのでその名残なのかもしれない。
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天守台に上ると長治公辞世の碑が建立されている。
齢23歳で城兵の命と引き替えに腹切った若き城主の
切なる思いがこの歌に込められている。
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三木合戦図の看板には興味をそそられた。
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ここに描かれている長治の叔父別所吉親の妻が凄すぎる。
調べてみたが畠山氏女とあるのみでその実態は不明だ。

それにしても城址公園は思いの外狭い。奥には大きな井戸跡が残されている。
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本丸から眺める美嚢川方面には秀吉軍の付け城が幾重にも築かれて完全に三木城を包囲していた訳だが、今は嘘のように穏やかな風景が広がっていた。
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公園中央にも小高い丘があるがこれが何の遺構なのかは分からなかった。
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古城図によるとこの辺りに御殿と天守があったようなのでここがその名残なのか。先の天守台は櫓跡なのか。よく分からない。
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その時数千人もの餓死者を出したという戦場跡に可憐なキショウブが咲き誇っていた。

今はただ 恨みもあらじ 諸人の  
命に代はる 我が身と思へば  


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Photo by Taul Osakada
Camera : SONY α77

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