TAUL'S CORRAL 2 <古を訪ねて>

アクセスカウンタ

zoom RSS <関ヶ原>その弐

<<   作成日時 : 2016/01/03 18:03   >>

ナイス ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

<2013/11/25UP>

画像


そして次は美作出身者として個人的に一番関心があった
南天満山の<宇喜多秀家陣跡>へ向かった。
画像
こうして見ると小西陣(左)と島津陣(右)の
位置関係がよく分かる。やはり陣を置く場所は小高い山を
背にするのが常套なのであろう。こればかりは平面な地図で
見てもよく判断できないが実際訪れるてみるとよく分かる。
細い道をしばらく走ると天満神社の入り口に着いた。
ここから鬱蒼とした参道をしばらく歩くと宇喜多家の旗印が
出迎えてくれる。

我が生まれ故郷津山は明治以前は美作国であり
関ヶ原合戦が起こった頃は宇喜多領だったのだ。
我が祖先小坂田家は美作の東を領していた後藤家に
仕えていて後藤家は関ヶ原合戦の21年前に宇喜多に
滅ぼされた経緯があるが、美作生まれとしては
宇喜多家にかなり肩入れしていることは否めない。
この合戦に美作から参加した武士団も少なからず
いたはずだ。かの宮本武蔵が宇喜多軍の足軽として
関ヶ原合戦で初陣を飾ったという逸話もあるくらいだ。

画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像
天満神社の境内には新旧二つの碑が存在する。
一つは宇喜多秀家、もう一つは浮田秀家とある。
一般的に嫡流を<宇喜多>、庶流を<浮田>と称したと
言われているが、ではなぜ秀家が<浮田>と称されて
いるのか正直よく分からない。
元々<浮田>姓だったが、戦国大名に成り上がった頃に
縁起や見栄えを良くするために嫡流は<宇喜多>と
称したのではないだろうか。まあこれはあくまでも個人的推論だが。

天満神社の南西隣りに位置する藤川台にある
大谷吉継陣跡を探し求めている途中、
偶然<平塚為広陣跡>を発見した。
正直ここは時間的に厳しかったのでパスしようと
思ってたのだが、何かに引き寄せられたかのような
偶然さに驚かされた。
画像
画像

平塚碑のある道を少し行くと大谷陣跡の上にある
大谷吉継墓所に向かう遊歩道がある。
画像
遊歩道の入り口には車が停まっていて
墓所から戻ってくる一行も確認できたが、
この道は下から行くより距離がありそうだったので
軟弱な我々はR21に戻って旧中山道から
大谷吉継陣跡>に向かった。
画像
画像
現在大谷吉継陣跡は若宮八幡宮になっている。
画像
向かいには吉継が監視していた小早川隊が
在陣していた松尾山が目視できる。
画像
画像
画像
画像
JR東海道本線を渡って境内に入る。
境内奥に大谷陣跡、墓所に続く遊歩道があるのだが
先の台風で遊歩道が崩れてしまって通行止めになっていた。
先の墓所への遊歩道を皆利用していた訳がやっと分かった。
画像
画像
画像
それにしても吉継陣跡と墓所は今回の史跡ツアーの
訪れたい場所ベスト3に入っていたのに時間的にもう
猶予が無かったので(この時はまだ松尾山に登るつもりだった)
無念ながら諦めて先を急ぐことにした。
帰り際、よく見ると入り口にちゃんと通行止めの
案内が書かれてあった。

西軍側の史跡はほぼ制覇したので
次からは東軍側の史跡を巡ることとなった。

R21を東進して松尾の交差点を南に入り細い路地を
進むと<福島正則陣跡>がある。現在は春日神社となっている。
画像
画像
画像
画像
樹齢約800年といわれる境内の大杉は
ここで壮絶な合戦の一部始終を眺めていたのだろう。

次はJR東海道新幹線の下をくぐって松尾山へ向かうが、
この時点ですでに午後の1時を回っていたので
熟慮した結果、松尾山の小早川秀秋陣跡へ登るのは
諦めて、このまま史跡を東進することにした。

折り返しのまず最初は中央道のすぐ南に位置する
脇坂安治陣跡>だ。
画像
画像
画像
画像
脇坂陣跡のすぐ後方に松尾山が控えている。
標高292.9mの松尾山城に陣取っていた小早川隊の
寝返りに同調した脇坂隊。小早川との示し合わせは無かった
というが、その時寝返りを決断した安治の心中は推し量れない。

こうして西軍の各陣跡を訪れてみるとすべて山か小高い丘を
バックにしていて念入りな計画の元に東軍を迎え入れたことが
よく分かる。
それに反して東軍の陣跡はそのほとんどが今や平坦な町中に
埋もれてしまっていていかにも東から進軍してきて陣取りをした
ことがよく分かる。

画像


天気も回復してくっきりと姿を現した伊吹山を眺め
ながら次に訪れたのは関ヶ原中学校の敷地内にある
藤堂高虎・京極高知陣跡>だ。
画像

画像
ビックリするぐらい中学校の敷地内にあって
学校関係の石碑だと勘違いしてしまうほどだった。

続いて訪れた東軍陣跡は<本多忠勝陣跡>だ。
ここも辿り着くには細い路地を進んでいかなければならない。
この日回った史跡の中でも一番分かりにくい陣跡だった。
画像
画像
画像
画像


忠勝陣跡をあとにして一ツ軒交差点からR21に入り
桃配山の<徳川家康最初陣跡>を訪れた。
画像
画像
画像
画像
相棒の熊さんはあまりに自車が汚れているのを
不憫に思い、隣にあるGSの自動洗車機にかけて
出てきたところ、ふと見るとT車の高級車に乗って
家康最初陣跡を訪れた一行を目にした。
その出で立ちからして恐らくこの日<関ヶ原合戦祭>にて
スペシャルトークのゲストとして来場されていた
徳川宗家第18代当主徳川恒孝氏だったのでは、
と勝手に推測しているのだが。

そしてこの日の最後に訪れたのは桃配山近くの
旧中山道沿いにある<山内一豊陣跡>だ。
画像
画像
この陣跡は最初気が付かずに通り過ぎてしまうほど
存在感の薄い陣跡だった。陣跡には必ずその武将の
家紋入りののぼりが立っていて有効な目印になっているの
だが、ここ一豊陣跡には一本ものぼりが立っていない
ばかりか、肝心の石碑も存在しないのだ。
合戦での存在感が薄かったせいか今もこの有様だ
というのは少々残念な気もする。

一豊陣跡を訪れた時点ですでに2時を回っていた。
この日是が非でも大垣に立ち寄らなければならなかった
熊さんの意見を取り入れて訪れることが出来なかった
小早川陣跡の松尾山、大谷吉継陣跡、東西首塚や
島津の退き口伝説の地などに後ろ髪を引かれながら
関ヶ原を後にした。

画像



Photo by Taul Osakada
Camera : Sony α77

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
ナイス ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
<関ヶ原>その弐 TAUL'S CORRAL 2 <古を訪ねて>/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる